M&Aで社長が会社を譲渡するとき、何をどの順番で決めればよいのか。株式譲渡と事業譲渡の違い、譲渡時期の見極め方、従業員への開示、個人保証の解除、譲渡後の処遇までを実務の流れに沿って整理しました。手取りを左右する税金の考え方や、譲渡オーナーが迷いやすい判断の勘所も解説します。
社長がM&Aで会社を譲渡する動きは広がっている
「うちの規模で相手なんて見つかるのか」。初回面談で最も多い問いかけが、これです。ところが数字を追うと、第三者への譲渡はすでに例外的な選択ではなくなっています。
後継者不在率は5割まで下がったが小規模企業は高止まり
帝国データバンクの全国「後継者不在率」動向調査(2025年)では、2025年の後継者不在率は50.1%で、前年から2.0ポイント低下しました。ただし小規模企業だけを見ると57.3%。規模が小さい会社ほど、後継者対策が後回しになっています。

代表者交代の約2割がM&A経由という現実
同じ調査の就任経緯別の内訳を見ると、2025年の速報値で「M&Aほか」が20.6%を占めています。内部昇格が36.1%、同族承継が32.3%。親族に渡す前提が崩れ、社外へ引き継ぐ経路が定着してきました。

譲渡の目的を先に言語化しておく
目的があいまいなまま話が進むと、条件の優先順位が途中でぶれます。会社売却の全体像をつかみ、M&Aを決断した理由を自分の言葉にできれば、交渉で軸が揺れません。
着手前に押さえる準備の順番
資料集めから始める方が多いのですが、順番が逆になりがちです。会社を売りたいときの準備を先に通しで確認しておくと、無駄な手戻りが減ります。
M&Aで社長が譲渡する手法は主に2つ
手法の選択は、税金・手続の重さ・引き継がれる範囲を同時に決める判断です。中小企業の譲渡では9割前後が株式譲渡になりますが、事業の一部だけを切り出す場面では事業譲渡が使われます。
株式譲渡と事業譲渡の違いを一覧で確認する
両者の差は、下表のとおり「誰が対価を受け取るか」に集約されます。ここを取り違えると、手取りの試算が丸ごとずれます。
| 比較項目 | 株式譲渡 | 事業譲渡 |
|---|---|---|
| 譲渡の対象 | 会社そのもの(発行済株式) | 特定の事業資産・契約・許認可 |
| 対価の受取人 | 株主である社長個人 | 会社(法人) |
| 社長個人の税負担 | 譲渡益に20.315%の申告分離課税 | 直接は発生しない |
| 会社の税負担 | 原則として発生しない | 法人税等と課税資産への消費税 |
| 手続の重さ | 株式の移転が中心で比較的簡便 | 雇用契約や取引契約を個別に巻き直す |
| 負債の扱い | 原則すべて譲受企業へ移る | 譲受企業が引き継ぐ範囲を選べる |
株式譲渡は譲渡オーナー個人に対価が入る
会社の器ごと渡すため、許認可も取引契約も原則そのまま残ります。株式譲渡の仕組みを押さえておけば、なぜこの手法が中小企業M&Aの主流なのか腑に落ちるはずです。
譲渡益にかかる税率の根拠
個人株主が株式を譲渡した場合、譲渡益は他の所得と分けて計算する申告分離課税の対象となります。税率の根拠は国税庁のタックスアンサーNo.1463にあり、所得税・復興特別所得税・住民税を合わせて20.315%。給与や役員報酬に比べれば、かなり軽い水準です。
手取りは譲渡価格だけでは決まらない
取得費が不明な株式、名義株の整理、役員借入金の残高。この3点で手取りは大きく振れます。会社売却の手取り額を早い段階で試算しておくのが安全です。
事業譲渡は会社に対価が入る
対価の入り口が法人になるため、社長個人に現金が渡るまでにもう一段階かかります。法人税等を負担したうえで、配当や役員退職金として個人に移すことになるので、二重の税負担が生じやすい構図。事業譲渡の手続と併せて確認しておきましょう。
消費税と契約の巻き直しに注意
棚卸資産や固定資産、のれん相当額は課税資産にあたるため、消費税が上乗せされます。取引先との基本契約や賃貸借契約も個別に承諾を取り直すことになり、実務の負荷は株式譲渡の比ではありません。
スキームの比較は税務と法務をセットで
どちらが有利かは、繰越欠損金の有無や不動産の含み益で逆転します。M&Aの税務を踏まえた試算を、意向表明を受ける前に済ませておくのが望ましいところ。
譲渡前に社長が整えておくべきこと
買い手から見た「買いやすさ」は、決算書の数字だけで決まりません。支援現場で価格に効いていると感じるのは、むしろ社長個人と会社の距離感です。
譲渡の時期は業績の山で判断する
業績が下向きに転じてからの打診は、条件面で不利になります。設備投資の直後や大口取引の更新前など、会社の説明材料が揃うタイミングを選びたいところ。M&Aのタイミングの考え方が参考になります。
譲れない条件を3つに絞る
価格、雇用維持、個人保証の解除、社名の存続、自身の残留期間。挙げればきりがありませんが、全部を最優先にすると交渉が止まります。順位を付けて臨むと、譲受企業も判断しやすくなります。
磨き上げのチェックリスト
下記は、当社が譲渡オーナーとの初回面談後にお渡ししている確認項目です。着手から成約まで1年前後かかるため、早い段階で潰しておくほど交渉が楽になります。
- 社長個人名義の不動産や車両を会社が使っていないか
- 役員借入金・役員貸付金の残高と、精算の道筋を決めているか
- 生命保険の契約者・受取人が会社と個人で混在していないか
- 社長の属人的な取引先が、担当者ベースで引き継げる状態か
- 就業規則・雇用契約書が現状の運用と一致しているか
- 簿外の債務や未払残業代の可能性を洗い出しているか
公私の分離が価格に直結する理由
譲受企業は、社長が抜けた後の利益を見ています。個人的な費用が損益計算書に混ざっていると、正常収益力の推定に幅が出て、その幅の分だけ価格が保守的になります。整理の詳細はM&Aの事前準備で確認できます。
自社の価値をざっくりでも掴んでおく
希望価格の根拠がないまま交渉に入ると、提示額の妥当性を判断できません。企業価値評価の方法を一度確認しておくだけで、目線が定まります。
譲渡プロセスで社長にしかできない判断
資料作成やマッチングは専門家が担えます。一方で、相手を選ぶ場面と、腹を割って話す場面だけは代われません。
譲受企業を選ぶ基準は価格だけではない
高い提示額を出した会社が、必ずしも従業員にとって良い相手とは限りません。統合方針、既存の買収実績、資金の出どころ。この3点は必ず確認しています。買い手の選び方も併せて押さえておきたいところ。
トップ面談で見るのは条件ではなく人
条件の詰めは後工程です。面談では、相手の経営者が現場をどう見ているか、従業員の話をどれだけ聞こうとするかを観察します。M&Aのトップ面談の流れを知っておくと、当日の緊張がほぐれます。
デューデリジェンスは隠さないほうが早く終わる
買収監査で問題が出ること自体は、破談の原因になりません。破談を招くのは、後から出てくることです。把握している弱みは先に開示したほうが、結果的に価格の減額幅も小さく収まります。売り手のDD対応を事前に読んでおきましょう。
個人保証の解除は最終契約に書き込む
借入がある会社では、社長の個人保証がほぼ必ず付いています。実務では譲受企業への移行と同時に解除されますが、口頭の約束だけで進めるのは危険。
ガイドラインが指摘するトラブル
中小企業庁は中小M&Aガイドラインの第3版で、経営者保証を譲受企業へ移す想定だったのに移らない事例があると指摘しています。中小M&A時の経営者保証の取扱いも公表されており、金融機関との事前調整が前提になります。
解除の道筋を先に作る
金融機関の内諾を取り、最終契約に解除を前提条件として明記する。この2段構えが基本形です。個人保証の解除と最終契約書の記載項目を突き合わせておけば、抜けは防げます。
従業員と取引先への開示をいつ行うか
情報が漏れて話が壊れる。これは珍しいことではありません。開示の設計は、価格交渉と同じくらい神経を使う領域です。
早すぎる開示が招くこと
基本合意の前に社内へ伝えると、成約前に不安だけが広がります。キーマンの離職が起きれば、譲受企業の評価も下がる。実際、開示のタイミングを誤って条件が巻き戻った例を見てきました。
伝える順番の目安
最終契約の締結後、クロージングまでの間に幹部へ、その後に全社員へ。この順が一般的です。社員説明のタイミングを事前に決めておくと、当日の言葉に迷いません。
手法によって従業員の扱いが変わる
株式譲渡なら雇用契約はそのまま継続し、勤続年数も通算されます。事業譲渡では転籍の同意を個別に取ることになり、条件によっては勤続年数がリセットされることも。
退職金への影響を交渉材料にする
勤続年数の通算は退職金の水準に直結します。事業譲渡でも通算するよう譲渡契約で手当てするのが実務の定石。雇用契約の引き継ぎと事業譲渡と社員の処遇で条件を確認しておきましょう。
譲渡後の社長はどうなるのか
「引退したら何をすればいいのか分からない」。譲渡が決まった後に、こう漏らす方が意外と多いのです。選択肢は、残るか離れるかの二択に見えて、実際にはその中間が大半を占めます。
会社に残って引き継ぐ場合
子会社の社長として経営を続ける、あるいは技術顧問として現場を支える。年齢や意欲によっては、この形が自然です。ただし報酬水準はオーナー時代より下がるのが通常で、そこは織り込んでおく必要があります。
残留期間は半年から2年が目安
取引先の引き継ぎと社内の不安解消に必要な期間として、この幅に収まる案件が多いところ。あらかじめ最終契約で期間を定めておけば、双方の期待値がずれません。売却後のオーナーの役割が具体的な参考になります。
経営から退く場合
第一線を離れ、家族との時間を取り戻す。長く走り続けた方ほど、この選択に踏み切れずにいます。譲渡代金という原資ができた段階で、次の生活設計を描き直すのも一つの区切りです。
役員退職金の受け取り方で手取りが変わる
譲渡対価の一部を役員退職金として受け取る設計は、中小企業M&Aで広く使われています。退職所得は勤続年数に応じた控除を差し引いた後、原則としてその2分の1が課税対象。株式の譲渡益と組み合わせると、全体の税負担を抑えられる場合があります。
支給には形式面の裏付けが要る
実質的に退職した事実、株主総会の決議、支給額の相当性。この3点が欠けると損金算入が否認されかねません。役員退職金の活用方法とM&A後の役員の待遇を併読すると全体像がつかめます。
PMIで譲渡オーナーが果たす役割
クロージングは終点ではなく、統合の出発点です。中小企業庁も中小PMIガイドラインを公表し、譲受企業が取り組むべき統合作業を体系化しています。
社長が担うのは翻訳役
譲受企業の方針を現場の言葉に置き換え、従業員の疑問を経営に上げる。この橋渡しができるのは、前オーナーだけです。制度統合そのものは譲受企業の仕事でも、納得感を作る部分は肩代わりできません。
引き継ぎの優先順位
取引先との関係、キーマンの引き留め、暗黙知の言語化。この3つを先に片付けると、その後の統合が滑らかに進みます。PMIの進め方で全体の流れを確認できます。
譲渡にかかる費用と相談先の選び方
費用の話は後回しにされがちですが、契約前に確認しておかないと後で揉めます。ガイドラインでも、手数料と業務内容を依頼前に確かめる重要性が明記されました。
仲介手数料の内訳
相談料・着手金、月額報酬、中間報酬、成功報酬。この4つが基本の構成です。着手金や月額報酬を設けない会社も増えており、成約時だけ費用が発生する形が中小企業M&Aでは主流になっています。
成功報酬の計算基準を必ず確認する
同じ料率でも、基準となる価額の取り方で金額は大きく変わります。レーマン方式の計算とM&A手数料の相場を見比べてから契約に進みましょう。
相談先ごとの得意分野
金融機関、税理士、公的機関、仲介会社。それぞれに強みがあり、案件の規模や事情で向き不向きが分かれます。M&Aの相談先を比較したうえで選ぶのが遠回りに見えて近道です。
仲介とFAの違いを理解しておく
双方の間に立つ仲介と、一方の利益だけを代弁するFA。どちらが適するかは、譲渡オーナーが交渉をどこまで自分で背負えるかで決まります。M&A仲介の役割から確認するとよいでしょう。
社長が会社を譲渡した事例
当社が支援した案件から、社長の関わり方が結果を分けた2件を匿名で紹介します。いずれも株式譲渡で、社長が引き継ぎ期間を明確に設計した点が共通しています。
後継者の辞退から異業種への承継へ
譲渡企業は梱包資材卸売で売上約2億円。譲受企業は産業機械関連で売上約30億円。子への承継を前提に準備していたものの辞退となり、従業員の雇用継続を最優先の条件として、既存の取引先へ譲渡しました。
業績下降局面での第三者承継
譲渡企業は原状回復の施工管理で売上約2億円。譲受企業は建設関連で売上約70億円。手取り額、役員借入金の返済、雇用継続の3条件を提示し、M&A経験の豊富な経営者へ引き継いだ案件です。業績が下向いてからでも、条件次第で成立します。
子の承継辞退から産業機械企業への事業承継へ

譲渡企業:梱包資材卸売(売上約2億円)
譲受企業:産業機械関連(売上約30億円)
スキーム:株式譲渡
家電・家具のラストワンマイル配送で高い評価を得る企業が、経営者の高齢化と後継者不在の課題解決のため、従業員雇用継続を最優先に既存取引先へ譲渡。
業績下降と資金難を経験豊富な経営者へ託す

譲渡企業:原状回復施工管理(売上約2億円)
譲受企業:建設関連(売上約70億円)
スキーム:株式譲渡
業績下降と資金面での承継困難から、手取り金額・役員借入金返済・雇用継続を条件に第三者承継を決断。M&A経験豊富な経営者への譲渡により希望条件を満たし成立。
業種や規模の異なる成約事例はオーナーの体験談としてまとめています。
M&Aでの社長の譲渡に関するFAQ
面談でよく受ける質問のうち、本文で触れていない論点を取り上げます。
すぐの引退を希望される方もいますが、買い手が引き継ぎ期間を求めるのが通常です。現場ではまず、最低限の引き継ぎに何か月要るかを洗い出します。取引先が社長の個人的な信用で成り立っている場合は、1年以上を見込むこともあります。
難しいところです。株主が配偶者や子に分散していれば、譲渡承認の段階で必ず話が及びます。株主構成を先に確認し、家族への説明時期を設計してから動くのが安全です。
見つかる案件はあります。判断材料になるのは、赤字の原因が一時的か構造的かという点。役員報酬の水準や過大な保険料が原因なら、正常収益力ベースでは黒字になることも珍しくありません。
株式譲渡なら法人格が存続するため、商号をそのまま維持する選択が可能です。ただし譲受企業のブランド戦略次第で変更されることもあり、社名の存続を望むなら交渉段階で条件に入れておく必要があります。
伝えたほうが結果的に有利になります。買収監査で必ず表面化しますし、後出しになると信頼を損ねて価格の減額幅が広がります。開示のしかたは仲介会社と相談しながら組み立てるのが実務です。
M&Aで社長が譲渡を進める際の要点
手法の選択で税負担と手続の重さが決まり、時期と条件の優先順位で交渉の主導権が決まります。個人保証の解除、従業員への開示、譲渡後の処遇まで、社長自身が判断すべき論点は少なくありません。ひとりで抱え込むと迷いが長引きます。
みつきコンサルティングは、税理士法人グループのM&A仲介会社として、中小企業の会社売却を数多く支援してまいりました。譲渡スキームの設計から手取り額の試算、個人保証の解除交渉まで一貫して伴走します。会社の譲渡をお考えでしたら、検討の初期段階からお気軽にご相談ください。
完全成功報酬のM&A仲介会社なら、みつきコンサルティングへ >
著者

- 事業法人第三部長/M&A担当ディレクター
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宅食事業を共同経営者として立ち上げ、CFOとして従事。みつきコンサルティングでは、会計・法務・労務の知見を活かし、業界を問わず、事業承継型・救済型・カーブアウト・MBO等、様々なニーズに即した多数の支援実績を誇る。M&Aの成約実績多数、M&A仲介・助言の経験年数は10年以上
監修者 神門 剛 代表取締役 / 公認会計士・税理士
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