時価純資産に利益の数年分を上乗せするだけの簡便な株価算定は、中小企業のM&A実務で最も多く使われています。ただし年数の置き方ひとつで譲渡価格は数千万円動くもの。中小企業庁が示す年数の目安、基準利益の選び方、含み益の税効果まで、譲渡オーナーが交渉で不利にならないための見方を計算例とともに解説します。
年倍法とは時価純資産にのれんを上乗せする株価算定
会社の値段を尋ねられて、真っ先に「純資産+利益の3年分」と答える経営者は少なくありません。この考え方が年倍法です。時価に直した純資産へ利益の数年分を上乗せして株式価値を出す簡便な手法で、読み方は「ねんばいほう」。企業価値評価の手法のなかでは、純資産を土台に置くコストアプローチの系譜に入ります。
年倍法と年買法は同じ手法を指す
表記が2通りあることに戸惑う方もいます。「年倍法」は利益の何倍かを足すという計算の形に着目した呼び方、「年買法」は利益の何年分を買うという発想からきた呼び方。中身は同じで、実務では両方が混在しています。どちらで検索しても行き着く先は変わりません。
基本の算定式と3つの構成要素
算定式そのものは、決算書が読めれば追える程度の簡単さです。
株式価値 = 時価純資産 + 基準利益 × 年数倍率

ただし3つの要素それぞれに、交渉で揉めやすい論点が潜んでいます。
時価純資産
貸借対照表の資産と負債を時価に直した後の純資産のこと。不動産の含み損益に加え、貸借対照表に載っていない保険の解約返戻金や退職給付債務まで拾い直すのが純資産法での株価算定の基本形になります。
のれん代
基準利益に年数倍率を掛けた金額が、そのままのれんとして扱われます。ブランド、取引先との関係、技術、人材といった数値化しにくい価値の受け皿。M&A実務では営業権とほぼ同義で使われ、譲受後の会計処理ではのれんの償却期間が論点になります。
年数倍率
何年分を上乗せするかという係数です。ここに理論的な裏づけはなく、交渉で決まります。年数倍率が1年動けば、基準利益がまるごと譲渡価格に乗る、あるいは消えるという構造。基準利益1億円の会社なら、1年で1億円の差になります。
コストアプローチとインカムアプローチをまたぐ位置づけ
年倍法は、純資産という過去の蓄積と、利益という将来の稼ぐ力を1つの式で混ぜ合わせています。将来キャッシュフローを割り引くインカムアプローチと比べれば粗い一方、類似企業を探す手間がかかるマーケットアプローチほどの負担もありません。中間的な立ち位置。
年倍法の計算例で追う譲渡価格の作られ方
式だけ眺めても腹に落ちないもの。実際の数字を入れて、時価純資産からのれん代、株式価値までを順に追ってみます。
計算の前提となる数値
次の前提を置きます。
- 簿価純資産 5億円
- 土地の含み益 2億円
- 売上高 8億円、営業利益 1億円
- 年数倍率 3年
3つのステップで株式価値を出す
手順は3段階に分かれます。

時価純資産を確定する
簿価純資産5億円に土地の含み益2億円を足し、時価純資産は7億円。含み損があれば逆に差し引きます。この段階で回収不能な売掛金や簿外の債務が見つかれば、その分も控除の対象になります。
のれん代を計算する
営業利益1億円に年数倍率3年を掛けて、のれん代は3億円。ただし基準利益をいくらに置き直すかで、この3億円は簡単に上下します。決算書の営業利益がそのまま使われるとは限りません。
株式価値を合算する
時価純資産7億円とのれん代3億円を合わせ、株式価値は10億円と算定されます。ここから借入金の引継ぎ方や役員退職慰労金の支給設計を詰めて、最終的な譲渡価格へ落ちていく流れ。
含み益の税効果をどこまで見るか
教科書にはあまり書かれていない論点があります。譲受企業側から「含み益2億円は将来売却したときに課税されるのだから、法人税等の実効税率相当を控除してほしい」と求められる場面。おおむね30%前後の控除を主張されると、時価純資産は7億円から6.4億円へ下がります。
控除すべきかどうかに絶対の正解はありません。土地を売る予定がないなら課税は顕在化しないという反論も成り立ちます。譲渡オーナー側としては、この論点が出た瞬間に総額でいくら動くのかを押さえておきたいところ。
中小企業庁が示す年数と現場の相場のズレ
「相場は3年から5年」という説明を目にすることが多いのですが、公的資料の書きぶりは少し違います。ここを知らずに交渉に入ると、話の土台を相手に握られます。
ガイドラインの記載は通常1年から3年
中小企業庁が公表する中小M&Aガイドラインの第3版では、時価純資産法などで算定した純資産に数年分の任意の利益を加算する考え方が示されています。加算対象の利益は税引後利益や経常利益など事例ごとに異なり、年数は通常1年から3年と明記されているところが要点。根拠は参考資料の中小M&Aの譲渡額の算定方法にあたります。
3年から5年という説明が広まった背景
公的資料が1年から3年としているのに、市場では3年前後、人気業種ではそれ以上という数字が語られます。理由は単純で、成約価格が交渉の産物だから。譲受候補が複数集まる案件では倍率が伸び、候補が限られる案件では縮みます。ガイドラインの年数は保守的な下限に近い目安と読むほうが、実務感覚に合っています。
業種と収益構造で年数は動く
下表は、年数倍率が伸びやすい会社と縮みやすい会社の特徴を、譲受企業の着眼点ごとに整理したものです。
| 譲受企業の着眼点 | 年数が伸びやすい会社 | 年数が縮みやすい会社 |
|---|---|---|
| 収益の安定性 | 継続取引が中心で毎期の振れが小さい | 単発の大型案件に依存し期ごとの振れが大きい |
| 顧客基盤 | 取引先が分散し特定先への依存が低い | 上位1社で売上の過半を占める |
| 経営者依存度 | オーナー不在でも受注と現場が回る | 営業も技術判断もオーナーに集中している |
| 人材の定着 | 有資格者や熟練工が長く残っている | 慢性的な欠員で採用が追いついていない |
| 追加投資の要否 | 設備が更新済みで当面の大型投資が不要 | 譲受後すぐに設備更新や基幹システム刷新が必要 |
この5つのうち、譲渡オーナーが自力で動かせるのは経営者依存度と人材の定着。書類ではなく日々の運営の作り方で差がつく部分です。
基準利益をどう置くかで譲渡価格は変わる
年数倍率ばかりに目が向きがちですが、掛けられる側の利益が動けば結果は同じだけ動きます。むしろ交渉で先に決着するのはこちら。
営業利益と経常利益と償却前利益の使い分け
下表のとおり、どの利益を基準に置くかで意味合いが変わります。
| 基準となる利益 | 中身 | 年倍法で使われる場面 |
|---|---|---|
| 営業利益 | 本業だけで稼いだ利益 | 中小企業M&Aで最も多く採用される |
| 経常利益 | 営業利益に受取利息や支払利息を加減 | 借入負担を織り込んで見たい場合 |
| 償却前営業利益 | 営業利益に減価償却費を足し戻した利益 | 設備投資の重い製造業や運送業 |
| 税引後利益 | 税負担を差し引いた後の手残り | 公的資料が加算例として挙げる利益の一つ |
償却前で見るか償却後で見るかは、設備の重い業種ほど開きが出ます。減価償却の影響を理解しておくと、提示された数字の意味が読み解けます。
役員報酬と個人経費の正常化
オーナー企業の決算書は、そのままでは第三者から見た稼ぐ力を表していません。よくある相談として、社長と配偶者の役員報酬が実勢よりかなり大きい、あるいは逆に抑えられているというケース。譲受企業は、第三者が同じ職務を担った場合の水準に引き直したうえで基準利益を組み直します。
オーナー個人に紐づく費用を戻す
社用車、オーナーを被保険者とする生命保険料、交際費、実働の薄い家族への給与。事業運営に不可欠でない支出は、基準利益に足し戻して評価されるのが通例です。逆にオーナーが無給に近い形で働いていた会社では、相当額の人件費を差し引かれることも。
役員退職慰労金の織り込み方
譲渡に合わせて役員退職慰労金を支給する設計は珍しくありません。支給額は損金になる一方、純資産は同額だけ減ります。株式の譲渡対価と退職金のどちらで受け取るかで手取りが変わるため、税務試算とセットで組むのが現場の順序になります。
一時的な損益は落として見る
補助金収入、保険金の受取、大口の一時案件、特殊要因による費用。単年度限りの損益は基準利益から外します。3期分を並べ、繰り返し発生している利益だけを残す地味な作業。ここを丁寧にやった会社ほど、年数倍率の交渉で押し返せます。
年倍法の提示を受けた譲渡オーナーの確認項目
仲介会社やアドバイザーから概算価格を示されたとき、その場で聞いておきたいことがあります。数字の大小より、前提の置き方のほうが後で効いてきます。
数字の前提を確認するチェックリスト
支援現場で譲渡オーナーに確認をお勧めしている項目を並べます。
- 時価評価の対象にした資産と負債はどれか
- 不動産の時価は路線価か、公示地価か、鑑定評価か
- 含み益に対する税効果を控除しているか
- 基準利益は何期分の平均か、それとも単年か
- 役員報酬をいくらに引き直したか
- 一時的な損益を除いた後の数字か
- 年数倍率をその年数にした根拠は何か
- 借入金と個人保証の扱いをどう前提に置いたか
すぐに答えが返ってこない項目があれば、そこは交渉余地が残っているサイン。意外と多い落とし穴です。
純資産の中身を疑う視点
回収見込みの薄い売掛金、何年も動いていない在庫、実態のない役員貸付金。純資産が厚く見える会社ほど、精査で目減りします。簿外債務が後から出てくれば、価格の再交渉どころか契約解除の話にもなりかねません。事業を止めた場合にいくら残るかを示す清算価値と並べてみると、純資産の質が浮かび上がります。
年数1年の差が手取りに与える影響
基準利益1億円の会社で年数倍率が3年から2年へ落ちれば、株式価値は1億円下がります。株式譲渡による譲渡益への課税はおおむね20.315%なので、手取りベースでも8,000万円近い差。中小企業M&Aの譲渡価格を詰める場面で、年数の根拠にこだわる価値はこの金額感からも分かります。
年倍法のメリットと限界
簡便だから使われる。同時に、簡便だから危うい。この両面を押さえておくと、提示額との向き合い方が変わります。
メリットは共通言語になること
電卓ひとつで計算が追えるため、譲渡オーナーと譲受企業が同じ土俵で話せます。誰が計算しても大きくは振れないので、初期段階の目線合わせに向いた手法。専門的な財務モデルを組む必要もなく、時間とコストがかかりません。
限界は理論的な裏づけの薄さ
過去の実績を出発点にするため、将来の市場環境や事業計画を織り込めません。赤字の会社ではのれんがゼロ、あるいはマイナス評価になりがち。年数倍率に客観的な基準がないぶん、譲渡側と譲受側の主張が正面からぶつかりやすい構造も抱えています。
他の手法と並べて初めて意味を持つ
下表は、年倍法と他の評価手法の関係を整理したものです。
| 評価手法 | 向いている場面 | 年倍法との関係 |
|---|---|---|
| 年倍法 | 初期の目線合わせ、簡易試算 | 出発点として使い、他手法で検証する |
| DCF法 | 事業計画が固まっている成長企業 | 将来性を反映でき、年倍法の上限側を示す |
| 類似会社比較法 | 上場の類似企業が複数ある業種 | 市場相場との乖離を確認できる |
| 時価純資産法 | 収益力が乏しい会社、資産保有型 | 年倍法の下限として機能する |
将来キャッシュフローから逆算するDCF法や、上場会社の倍率を当てはめる類似会社比較法を並走させると、年倍法の結果が高いのか安いのかを判断できます。特にEBITDA倍率との突き合わせは、譲受企業の投資回収年数を推し量る材料になります。
非上場株式に特有の割引
非上場株式は市場でいつでも売れるわけではないため、上場会社の指標をそのまま当てはめると高く出ます。中小M&Aガイドラインでも、3割程度の非流動性ディスカウントを織り込むケースがあると触れられています。株式価値と事業価値の違いを押さえておくと、こうした調整の意味も見えてきます。
年倍法での評価を高めるために今から着手できること
譲渡を数年先に見据えているなら、打てる手は残っています。式の3要素それぞれに対応する取り組みを整理します。
純資産を厚くする
純資産は日々の利益の積み上げで作られるため、短期間では動きません。役員貸付金の整理、不良在庫の処分、遊休資産の売却といった貸借対照表の掃除は、数字を減らすようでいて評価の説得力を高めます。中身が説明できる純資産のほうが、精査で削られにくくなります。
基準利益の質を上げる
利益の絶対額を伸ばすことが最も効きます。基準利益が2,000万円増えれば、年数倍率3年で6,000万円の上乗せ。加えて、特定先への売上依存を下げる、継続的な取引の比率を高めるといった利益の安定化が、年数倍率そのものを押し上げます。
無形資産を見える化する
技術、顧客リスト、許認可、社内に蓄積したノウハウ。譲受企業に伝わらない価値は評価されません。属人化した業務を手順書に落とし、オーナーがいなくても回る体制を作ることが、結果として譲渡価格を高める要素になります。こういうケースは珍しくありません。
年倍法に関するFAQ
譲渡オーナーからよく寄せられる質問をまとめました。
どちらでも通じます。現場では書き手によって混在しており、統一されていません。ただし公的資料では手法名としてではなく、純資産に数年分の利益を加算する方法として説明されています。契約書や評価書に載る場合は、算定式そのものを確認するほうが確実です。
基準利益がマイナスなら、のれんは乗りません。ただし赤字の中身次第です。役員報酬の過大計上や一時的な特別損失が原因なら、正常化後の利益で見直します。実質的にも赤字であれば、時価純資産法や清算価値を出発点に組み替えるのが現実的な進め方になります。
動きます。現場ではまず、その年数にした理由を聞くところから始めます。譲受候補が複数いる状況を作れているか、利益の安定性を数字で示せているかで結果が変わります。0.5年刻みで詰めるケースも多く、基準利益が大きい会社ほど交渉の実益が出ます。
満額のこともあれば、税効果相当を控除されることもあります。譲受企業が将来の売却を想定していれば、実効税率相当の控除を求めてくる場面が出てきます。事業用として使い続ける前提なら控除しない整理もあり、鑑定評価の有無と併せて条件交渉になります。
一概には言えません。譲受候補の数、シナジーの見込み、譲渡時期の制約で上下します。年倍法はあくまで初期の目安であり、精査を経て下がることも、複数の候補が競って上がることもあります。1つの数字に固定して考えないほうが、交渉の幅を保てます。
年倍法の要点と譲渡価格の見極め方
年倍法は、時価純資産に基準利益の数年分を上乗せして株式価値を出す簡便な手法です。年数倍率にも基準利益にも交渉の余地があり、公的資料が示す年数は通常1年から3年。示された金額を鵜呑みにせず前提を一つずつ確認していけば、価格の話は着地点が見えてきます。
みつきコンサルティングは、税理士法人グループのM&A仲介会社として、中小企業の会社売却を数多く支援してきました。企業価値の試算から譲渡スキームの設計、税務論点の整理までを一貫してお手伝いできます。譲渡価格の見立てに迷われた際は、お気軽にご相談ください。
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著者

- 名古屋法人部長/M&A担当ディレクター
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人材支援会社にて、海外人材の採用・紹介事業のチームを率いて新規開拓・人材開発に従事。みつきコンサルティングでは、強みを生かし人材会社・日本語学校等の案件を中心に工事業・広告・IT業など多種に渡る案件支援を行う。M&Aの成約実績多数、M&A仲介・助言の経験年数は10年以上
監修者 神門 剛 代表取締役 / 公認会計士・税理士
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