自社はいくらで売れるのか。上場している類似会社や過去の取引事例と比べて企業価値を測るマーケットアプローチは、中小企業の株価算定でも実際に使われています。マルチプル法など4手法の考え方、EV/EBITDA倍率を使った算定の流れ、非上場ゆえの割引まで、譲渡オーナーが押さえるべき論点を実務目線で解説します。
マーケットアプローチとは
会社の値段を考えるとき、経営者がまず知りたいのは「似たような会社はいくらで取引されているのか」という一点でしょう。マーケットアプローチは、この問いに正面から答える評価手法です。上場している類似会社の株価や、過去のM&A取引価格を物差しにして、対象会社の価値を相対的に測ります。
企業価値評価の3つのアプローチにおける位置づけ
バリュエーションには大きく3つの流派があります。将来の稼ぐ力から逆算するインカムアプローチ、貸借対照表の純資産を基礎に置くコストアプローチ、そして市場の相場と比べるマーケットアプローチ。3手法の関係と使い分けは企業価値評価の全体像で整理しました。
中小企業M&Aで使われる場面
非上場の中小企業に市場株価は存在しません。それでも譲受企業は、提示された価格が相場と比べて割高でないかを社内稟議で必ず問われます。譲渡オーナー側にも同じ物差しが要る理由が、ここにあります。価格が実際にどう決まっていくかは中小企業M&Aの譲渡価格で扱いました。
企業価値と株式価値の違いを先に押さえる
倍率を掛けて出てくる数字は、多くの場合「事業価値」であって、オーナーの手元に残る「株式価値」ではありません。借入金を引き、余剰現預金を足し戻す工程が残っています。この階層関係はM&Aの企業価値で図解しました。ここを飛ばすと、交渉の後半で数億円単位の認識違いが表面化します。

マーケットアプローチの4つの種類
ひとくちにマーケットアプローチと言っても、何と比べるかで手法が分かれます。代表的なものは4つ。ただし中小企業M&Aで主役を張るのは、そのうち1つだけです。
類似会社比較法(マルチプル法)
事業内容や規模が近い上場会社を複数選び、その株価や財務指標から倍率を取り出して、対象会社の数値に掛け合わせる手法。非上場企業の株価算定では、これが実務の中心になります。選んだ類似会社の顔ぶれ次第で結論が動くため、恣意性をどう抑えるかが腕の見せどころ。進め方の詳細は類似会社比較法の実務で解説しています。
実務で使う代表的な倍率
最もよく使われるのがEV/EBITDA倍率です。減価償却費の影響を除くため、設備投資の重い会社と軽い会社を横並びで比べられます。利益の質を見る会社売却でのEBITDAの作り方、業種ごとの水準感はEV/EBITDA倍率の目安を参照してください。株主価値を直接見るPERの計算式を併用する場面もあります。
減価償却の扱いが倍率を左右する
同じ利益水準の会社でも、償却方法や耐用年数の設定が違えば営業利益は変わります。EBITDAが好まれる理由はここ。会計方針の差を消してから比べる、という発想です。影響の中身は減価償却と企業価値で整理しました。
市場株価法
対象会社自身の市場株価、たとえば過去1〜6か月の平均株価をもとに株主価値を評価する方法。誰が計算しても同じ答えになる再現性の高さが特長です。ただし対象が上場企業であることが前提のため、中小企業M&Aの現場に登場する機会はありません。上場企業同士の合併や株式交換で用いられる手法、と押さえておけば足ります。
類似取引比較法
過去に成立したM&A取引の価格から倍率を取り出す手法です。実際の取引に基づくため、経営権の移転に伴う支配権プレミアムが織り込まれた水準になります。ゴルフ場やホテルのように取引事例が蓄積した業界では有効。一方、市場が過熱した時期の事例ばかりを拾うと、価格が上振れした結果だけを見ることになります。
類似業種比準方式
国税庁が公表する業種別の株価データと比べ、1株当たりの配当・利益・純資産の3要素から株価を算定する方法。相続税や贈与税の計算に用いられ、課税の公平性を担保する仕組みとして設計されています。計算体系は国税庁のタックスアンサーNo.4638 取引相場のない株式の評価にまとまっています。
税務上の株価とM&Aの譲渡価格は別物
相談の場でよく混同されるのが、この2つ。類似業種比準方式は将来の収益力を織り込まない設計のため、そこで出た株価がそのままM&Aの譲渡価格になるわけではありません。相続対策で算定した株価より、実際の譲渡価格が大きく上回るケースは珍しくないのが実情です。
4つの手法の使い分け
下表に、比較の基準と中小企業M&Aでの実用度をまとめました。
| 評価手法 | 比較する基準 | 主な使いどころ | 中小企業M&Aでの実用度 |
|---|---|---|---|
| 類似会社比較法 | 類似する上場会社の株価と財務指標 | 非上場企業の株価算定全般 | 高い(実務の中心) |
| 市場株価法 | 対象会社自身の市場株価 | 上場企業同士の合併・株式交換 | 使えない(非上場のため) |
| 類似取引比較法 | 過去のM&A取引価格 | 取引事例が蓄積した業界 | 参考程度(事例数に依存) |
| 類似業種比準方式 | 国税庁公表の業種別データ | 相続税・贈与税の株価評価 | 税務目的に限る |
マーケットアプローチの計算方法
電卓を叩く前に、作業の順番を頭に入れておくと迷いません。実務では5つの工程で進みます。ここでは年商15億円の会社を想定した仮の数値で、流れを追ってみます。
ステップ1 類似上場会社を選ぶ
業種、ビジネスモデル、収益構造、成長ステージが近い上場会社を3〜10社ほど選定します。ここが評価の土台。売上規模が100倍違う会社を並べても、比較の意味は薄れます。事業セグメントの構成が近いかどうかまで見るのが実務です。
ステップ2 各社の事業価値と利益を集める
選んだ各社について、時価総額、有利子負債、現預金、EBITDAを決算書と適時開示から拾います。事業価値(EV)は、時価総額に有利子負債を足し、そこから現預金を差し引いて求めます。
ステップ3 倍率の代表値を決める
各社のEV/EBITDA倍率を計算し、平均値または中央値を代表値とします。下表は3社を選んだ場合の計算イメージ。極端な外れ値が混ざったときは、中央値を採るか、その1社を除外します。
| 財務項目 | 類似A社 | 類似B社 | 類似C社 |
|---|---|---|---|
| 時価総額 | 120億円 | 200億円 | 80億円 |
| 有利子負債 | 30億円 | 60億円 | 20億円 |
| 現預金 | 10億円 | 20億円 | 10億円 |
| 事業価値(EV) | 140億円 | 240億円 | 90億円 |
| EBITDA | 20億円 | 30億円 | 15億円 |
| EV/EBITDA倍率 | 7.0倍 | 8.0倍 | 6.0倍 |
ステップ4 対象会社の数値に倍率を掛ける
代表値となった倍率を対象会社のEBITDAに掛けて事業価値を出し、有利子負債を引いて現預金を足し戻すと株式価値になります。下表がその計算過程です。
| 算定項目 | 金額・倍率 | 計算の中身 |
|---|---|---|
| EBITDA | 2.0億円 | 営業利益1.4億円+減価償却費0.6億円 |
| 採用する倍率 | 7.0倍 | 類似3社の平均EV/EBITDA倍率 |
| 事業価値(EV) | 14.0億円 | 2.0億円×7.0倍 |
| 有利子負債 | △3.0億円 | 借入金の残高を控除 |
| 現預金 | +1.0億円 | 余剰資金を加算 |
| 株式価値 | 12.0億円 | 14.0億円-3.0億円+1.0億円 |
| 調整後の株式価値 | 8.4億円 | 12.0億円×(1-30%) |
ステップ5 非上場ゆえの調整を入れる
上場会社の株はいつでも売れますが、中小企業の株はそう簡単に換金できません。この差を織り込むのが最後の工程。実務では2〜3割の割引を入れるのが一般的で、これに規模差や支配権の有無も加味していきます。



マーケットアプローチのメリットとデメリット
客観的な手法だから安心、とは限りません。強みと弱みは表裏一体。下表で観点ごとに整理しました。
| 評価の観点 | メリット | デメリット |
|---|---|---|
| 客観性 | 市場データが基準となるため、誰が計算しても近い数字に着地する | ぴったり重なる上場会社は存在せず、選定に主観が残る |
| 手間とコスト | 計算構造が単純で、短期間・低コストで概算できる | 精度が類似会社の選び方に大きく左右される |
| 交渉での納得感 | 実際の市場価格に基づくため、譲受企業を説得しやすい | 相場全体の変動に評価額が振られる |
| 将来性の反映 | 現時点の相場観を素早くつかめる | 将来の成長やシナジーを直接は織り込めない |
メリットが効く場面
「うちはだいたいこのくらいか」という当たりを付けたい初期段階で、この手法の速さが生きます。
短期間で相場観をつかめる
公開情報だけで組み立てられるため、決算書が3期分そろえば数日で概算レンジが出ます。本格的な検討に入る前の判断材料として、これで足りる場面は多いところ。
譲受企業への説明がしやすい
「同業のこの会社は7倍で評価されている」という説明は、社内稟議を通す側にとって扱いやすい理屈になります。相手の意思決定プロセスを助ける数字、と言い換えてもよいかもしれません。
デメリットが出る場面
裏を返せば、比較対象が見つからない会社ほど、この手法は頼りなくなります。
ぴったり重なる上場会社は存在しない
特殊な技術やニッチ市場で戦う会社ほど、類似会社の選定に苦労します。無理に業種を広げると、今度は倍率の説得力が落ちるという板挟み。
相場変動に評価額が振られる
株式市場が調整局面に入れば、同じ会社でも算定額は下がります。市場が本質的な価値を常に正しく映しているわけではない、という前提を忘れないでおきたいところ。
自社の強みやシナジーを直接は映せない
長年築いた顧客基盤や技術者の層の厚さは、倍率には表れません。何が価格を押し上げるのかは会社売却のバリュードライバー、譲受企業側の期待収益への反映はM&Aのシナジー評価で扱いました。
中小企業に当てはめるときの3つの調整
上場会社の倍率をそのまま自社に当てはめ、実勢より高い株価を持ち歩いてしまう。相談の初期に、意外と多い落とし穴です。中小企業へ適用するには、3つの調整が要ります。
規模の違いを補正する
売上100億円の上場会社と年商15億円の非上場会社とでは、景気変動への耐性も資金調達力も違います。この差を倍率に反映させるのがサイズ調整。倍率を1〜2割下げる、あるいは類似会社の選定を小型株に寄せる、といった対応を取ります。
非流動性ディスカウント
非上場株は買い手を探すところから始めなければならず、換金までに時間もコストもかかります。その分だけ価値を割り引く、という考え方。裁判例での扱いや水準感は非流動性ディスカウントで取り上げています。
コントロール・プレミアムと少数株主の扱い
株式を100%渡すM&Aでは経営権が移ります。少数株主として買う場合と比べれば、その分だけ価格は上振れするわけです。逆に一部だけを譲渡する局面では価値が割り引かれます。仕組みはマイノリティ・ディスカウントで整理しました。
他のアプローチとの併用が実務の標準
中小企業庁の中小M&Aガイドライン(第3版)では、仲介者やFAが提供する業務として、時価純資産法・マルチプル法・DCF法など複数のアプローチによるバリュエーションの実施が示されています。1つの手法に頼らない、という前提が置かれているわけです。
インカムアプローチとの組み合わせ
事業計画に説得力があるなら、DCF法での企業価値評価が上振れ余地を示してくれます。マルチプルで相場観を押さえ、DCFで将来性を語る。この二段構えが、交渉の場では効いてきます。
コストアプローチとの組み合わせ
中小企業M&Aで最も多いのは、時価純資産法での算定を土台に、営業権を上乗せする形。いわゆる年買法の考え方です。マルチプル法の結果と大きく離れるときは、どちらかの前提を疑ってかかります。
差額がのれんとして表に出る
譲渡価格が時価純資産を上回れば、その差額は譲受企業の帳簿上で「のれん」になります。買い手側の償却負担が価格交渉に影響する場面もあり、譲渡オーナーとしても構造は知っておきたいところ。会計処理はM&Aののれんにまとめています。
仲介会社が示す価格と専門家の評価書は違う
ガイドライン上、仲介者が確定的なバリュエーションを行うことはできず、必要に応じて士業等専門家の意見を求めることとされています。当社が概算レンジを提示したうえで、局面に応じて公認会計士・税理士による評価を組み合わせるのは、この線引きがあるためです。
3つのアプローチの比較
下表は、それぞれの価値の見方と中小企業M&Aにおける役割です。
| 評価アプローチ | 価値の見方 | 代表的な手法 | 中小企業M&Aでの役割 |
|---|---|---|---|
| マーケットアプローチ | 他社との比較による相対評価 | 類似会社比較法、類似取引比較法 | 相場観の確認と交渉の物差し |
| インカムアプローチ | 将来の稼ぐ力で評価 | DCF法、収益還元法 | 事業計画の説得力を価格に変換 |
| コストアプローチ | 保有する純資産で評価 | 時価純資産法、年買法 | 価格の下限を押さえる |
支援現場から見たマーケットアプローチの使いどころ
数字の作り方より、どう使うか。当社が関与した案件を、業種と規模が分かる程度に匿名化して紹介します。
匿名事例 システム受託開発会社の株式価値算定
マルチプル法を単独で使うのではなく、他の手法の検証役として機能させた案件です。
案件の概要
譲渡企業は年商10億円のシステム受託開発会社、譲受企業は年商80億円の中堅ITベンダーでした。譲受企業側から、デューデリジェンスと株式価値算定の依頼を受けた案件です。譲渡企業の社内資料が電子化されていたため、キーマンへのマネジメント・インタビューを含め、すべてクラウド上で完遂しています。
採用した評価手法
業種と規模が近い上場会社のデータを集め、DCF法を基軸に、類似会社比較法と時価純資産法を併用して評価の信頼性を確保しました。あわせて1株当たり利益の推移をEPSの計算式で確認し、倍率の妥当性を多角的に検証しています。
譲渡オーナーが交渉前に確認したいチェックリスト
当社が初期相談で必ず確認する項目を並べます。手元に決算書があれば、その場でおおよその見当はつきます。
- 直近3期のEBITDAを、役員報酬や地代家賃を実勢水準に直したうえで再計算しているか
- オーナー個人名義の資産や、事業に使っていない保険・不動産が会社に残っていないか
- 有利子負債の残高と、個人保証の付き方を把握できているか
- 比較対象に選んだ上場会社が、本当に同じ収益構造か
- 倍率に規模差と非流動性の調整を反映しているか
- 譲受企業側で見込めるシナジーを、交渉材料として整理できているか
最後の項目でつまずく会社が多いところ。倍率は相手を納得させる道具であって、自社の価値そのものではありません。
マーケットアプローチに関するFAQ
初期相談で繰り返し受ける質問を5つ選びました。
決まりません。現場ではDCF法や時価純資産法と並べ、レンジで見るのが通常です。最終的な価格は、買い手の資金力やシナジーの見立て、交渉のタイミングで動きます。算定はあくまで出発点。数字が一社ごとに違うこと自体は、珍しくありません。
業種を一段広げて選び直すか、事業セグメントの一部が重なる会社を複数拾って補正します。それでも無理筋なら、この手法の比重を下げ、DCF法や時価純資産法に軸足を移します。取ってつけた倍率は、交渉で必ず突かれますので。
業種と規模で大きく変わるため、一律の正解はありません。上場会社の倍率をそのまま使うと高く出やすく、中小企業では規模差と非流動性の調整を入れます。同業の水準を確認したうえで、自社の利益の質と成長性で上下させる、という順序で考えます。
できます。ただし「安い」と言うだけでは動きません。比較対象に選んだ上場会社の顔ぶれ、採用した利益の定義、調整の中身。この3点を具体的に問い直すと、議論がかみ合います。数字の裏側を開示させることが、交渉の第一歩です。
目的が違うためです。類似業種比準方式は課税の公平性を担保する計算体系で、将来の収益力を織り込みません。一方、M&Aの価格は買い手が将来得られる利益から逆算します。相続対策で見た株価より、実際の譲渡価格が高くなることは十分にあります。
マーケットアプローチを会社売却の価格判断に生かす
マーケットアプローチは、類似する上場会社や過去のM&A事例と比べて企業価値を測る手法です。マルチプル法を軸に、規模差と非流動性の調整を入れて初めて、中小企業の株価として使える数字になります。自社の値段が分からないまま交渉に臨むのは、誰にとっても不安なもの。まずは相場の物差しを持つところから始めてください。
みつきコンサルティングは、税理士法人グループのM&A仲介会社として、中小企業のM&Aと事業承継を数多く支援してきました。企業価値評価から譲渡先の選定、条件交渉までを一貫してご一緒します。自社の価値の見立てを知りたい段階でも、お気軽にご相談ください。
完全成功報酬のM&A仲介会社なら、みつきコンサルティングへ >
著者

- 事業法人第一部長/M&A担当ディレクター
-
みずほ銀行にて大手企業から中小企業まで様々なファイナンスを支援。みつきコンサルティングでは、各種メーカーやアパレル企業等の事業計画立案・実行支援に従事。現在は、IT・テクノロジー・人材業界を中心に経営課題を解決。M&Aの成約実績多数、M&A仲介・助言の経験年数は10年以上
監修者 神門 剛 代表取締役 / 公認会計士・税理士
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