会社売却で社員の雇用契約はどうなる|承継の仕組と不利益変更

会社売却で社員の雇用契約がどう扱われるかは、株式譲渡か事業譲渡かで大きく変わります。長年支えてくれた社員を守れるのか、不安を抱えたまま検討を進める経営者は少なくありません。本記事では承継の法的な仕組、給与や退職金・有給休暇の引き継ぎ、最終契約に盛り込む雇用維持条項、労務デューデリジェンスで指摘されやすい論点までを、譲渡オーナーに向けて解説します。

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会社売却で社員の雇用契約はどう扱われるか

「会社を売ったら、社員の雇用契約はどうなるのか」。初回面談でこの質問が出ない案件は、ほとんどありません。金額よりも先に社員の話をされる経営者は、当社の相談現場でも珍しくないところ。

結論を先に述べると、扱いは会社売却の手法と流れによって法律上まったく異なります。同じ「売却」でも、社員の立場から見た景色は別物です。

株式譲渡なら雇用契約はそのまま続く

日本の中小企業M&Aの約9割を占める株式譲渡の仕組では、発行済株式の持ち主が入れ替わるだけで、会社という法人格は存続します。

雇用主である法人が変わらない以上、会社と社員が結んだ雇用契約もそのまま。契約を結び直す必要はなく、勤続年数も有給休暇の残日数も、そっくり引き継がれます。社員から見れば、株主総会の議事録が一枚増えただけとも言えます。

事業譲渡は社員一人ずつの同意がいる

一方、会社の一部または全部の事業を切り出して売る場合は、話がまるで違ってきます。

民法625条が求める労働者の承諾

事業譲渡の手続は、個々の資産や契約を選んで移す取引です。雇用契約も例外ではありません。

民法625条は、使用者が労働者の承諾を得なければその権利を第三者に譲り渡せないと定めています。つまり譲渡企業と譲受企業が合意しただけでは足りず、社員本人の承諾が要るという構図。

転籍を断られたときに起きること

社員には転籍を拒む権利があります。断られれば、その社員は譲渡企業に残るか、自ら退職を選ぶかの二択になります。

厚生労働省は、事業譲渡を理由とするだけの解雇は整理解雇の判例法理に照らして認められないとし、配置転換など雇用関係を維持する措置を求めています。事業譲渡での社員の扱いは、契約書の文言以上に事前の対話量で決まります。

会社分割には労働契約承継法が働く

三つ目の類型が会社分割です。組織再編の一種で、権利義務が包括的に移るため、雇用契約も原則として自動的に承継されます。

ただし、承継される事業に主として従事していた社員が承継対象から外された場合などには、異議を申し出る制度が用意されています。会社分割との違いを押さえておくと、スキーム選定の議論がぶれません。

3つの手法で雇用契約の扱いを比べる

手法ごとの差は下表の通りです。譲渡オーナーが最初に確認すべきなのは、社員に拒否権があるかどうかという一点に集約されます。

比較項目株式譲渡事業譲渡会社分割
雇用契約の承継自動的に継続社員ごとの承諾が必要原則として包括承継
根拠となる考え方法人格が存続するため民法625条労働契約承継法
社員側の拒否権なしあり異議申出の制度あり
勤続年数そのまま通算契約で定める通算される
有給休暇の残日数そのまま引継契約で定める引き継がれる
就業規則当面は従前どおり譲受企業の規則を適用承継会社の規則を適用

雇用契約の中身は会社売却後どこまで守られるか

雇用が続くこと自体は分かった。それでも「給与を下げられないか」「退職金は消えないか」という不安は残ります。ここからは契約の中身に踏み込みます。

給与や賞与を一方的に下げられない理由

株式譲渡で雇用契約が継続する以上、譲受企業の一存で賃金を切り下げることはできません。

労働契約法が定める変更のルール

労働契約法8条は、労働条件の変更に労使の合意を求めています。9条・10条は、就業規則の変更によって社員に不利益な条件を課す場合、変更内容の合理性と社員への周知を要件としています。

賃金や退職金といった重要な条件ほど、求められる合理性の水準は高くなる。ここが実務上の防波堤です。

譲受企業の人事制度に統合されるときの実務

中長期では、譲受企業の等級・報酬体系へ寄せていく動きが出てきます。相場観としては、資本力のある企業の傘下に入ることで賞与原資や福利厚生が改善する例のほうが多い印象。

ただし移行期には、旧制度で高めに設定されていた手当が整理されることもあります。従業員の待遇の変化を事前に見通しておくと、説明会での質疑に落ち着いて答えられます。

退職金は勤続年数の通算が争点になる

株式譲渡なら退職金規程も制度ごと引き継がれるため、論点になりにくい領域です。問題は事業譲渡のとき。

これまでの勤続年数を譲受企業が通算するのか、売却時に譲渡企業が打ち切り支給で精算するのか。契約でどちらとも定められます。精算方式を採る場合、退職所得控除の計算や源泉徴収の扱いが変わるため、スキーム確定前に顧問税理士へ確認しておくのが安全です。

年次有給休暇の残日数はどう引き継ぐか

意外と見落とされるのが有給休暇です。株式譲渡なら当然に残ります。事業譲渡では雇用契約を結び直すため、原則として権利がいったん切れる建て付けになります。

実務では「前職の残日数を通算して付与する」という特約を三者で結び、社員が損をしない形に整えるのが通例。なお、未消化の有給は簿外債務に近い性格を持つため、譲受企業側が金額換算して価格交渉に持ち込んでくることもあります。

勤務地や職務が変わる可能性

組織再編や拠点の統廃合で、配属先が動くことはあります。譲受企業が遠方であれば転勤の可能性も視野に入れておきたいところ。

もっとも、配転命令にも権利濫用の歯止めがあり、業務上の必要性がないのに社員に著しい不利益を与える異動は認められません。

会社売却が社員にもたらす利点と負担

社員にとっての会社売却は、単なる株主交代では終わりません。下表に、現場で実際に聞かれる声を利点と負担の両面から整理しました。

観点社員にとっての利点社員が抱えやすい負担
雇用の安定後継者不在による廃業を避けられ、職を失うリスクが消える「いずれ人員整理があるのでは」という漠然とした不安が残る
処遇・待遇資本力のあるグループ入りで福利厚生や賞与原資が厚くなる評価制度の統合で一部の手当が整理される場合がある
キャリア新しいポストや未経験の職務に挑戦する機会が増える求められる水準が上がり、適応まで時間がかかる
組織・人間関係研修制度やノウハウを活用してスキルを伸ばせる新経営陣や出向者との関係を一から築く必要がある
働き方属人的だった業務が仕組化され、負荷が平準化される報告・稟議の手順が増え、決裁のスピードが落ちたと感じる

この落差を埋める作業が、いわゆるPMIの進め方にあたります。

譲渡オーナーが雇用契約を守るためにできること

会社を去る側にできる最大の仕事は、社員が安心して働ける条件を契約書に落とし込み、伝え方を設計しておくことに尽きます。

最終契約書に雇用に関する条項を入れる

口約束は残りません。最終契約書の記載事項に書き込んで初めて、社員を守る仕掛けになります。

実務で盛り込むことが多い条項

当社が譲渡オーナーの意向を受けて提示することが多いのは、次のような内容です。交渉の早い段階で出すほど、通りやすくなります。

  • 成約から一定期間、既存社員の雇用を維持すること
  • 同期間、給与水準と主要な手当を引き下げないこと
  • 退職金規程の勤続年数を通算すること
  • 年次有給休暇の残日数を承継すること
  • 正当な理由のない解雇を行わないこと
  • 本社機能や勤務地を当面移転しないこと

条項の実効性には限界がある

ただし、これらは万能ではありません。期間が過ぎれば効力は切れますし、違反があっても損害を金銭で立証するのは容易ではないという現実があります。

だからこそ、条項の有無と同じくらい、譲受企業が人材をどう位置づけているかを見極める必要が出てきます。人件費の削減幅を熱心に質問してくる相手には、当社は率直に懸念を伝えます。

社員への開示は最終契約後が原則

告知が早すぎれば動揺を招き、遅すぎれば不信を買う。この綱引きが、譲渡オーナーの神経を最も削る場面です。

一般的には、最終契約の締結後からクロージング直後までの間に説明会を開きます。売却を決断した理由を経営者自身の言葉で語ることが何より効きます。社員説明のタイミングは、案件ごとに設計するもの。

PMI期間に譲渡オーナーが担う通訳の役割

売却したら終わり、とはいきません。顧問や会長として一定期間残り、両社の橋渡しをする形が中小企業では標準的です。

長年会社を率いた人にしかできないのが、文化の違いを翻訳する仕事。この期間を丁寧に過ごせるかどうかが、M&A後の離職防止を大きく左右します。残留期間の設計は売却後のオーナーの役割とあわせて考えたいところです。

労務デューデリジェンスで指摘されやすい雇用契約の不備

譲受企業はデューデリジェンスの調査項目の一つとして労務を必ず見ます。ここで出てくる指摘は、そのまま価格の減額要因になります。

未払残業代と固定残業代の設計

最も金額が膨らみやすい論点です。固定残業代を導入していても、対象時間数が就業規則に明記されていなかったり、超過分を精算していなかったりすると、制度そのものが否認されます。

過去にさかのぼって全社員分を計算すると、数千万円規模になる会社も出てきます。

労働条件通知書と就業規則の整備状況

創業から人数が増えるなかで、書面の整備が追いついていない会社は多いもの。雇用契約書が見当たらない社員がいる、就業規則が10年以上改定されていない、といった状態は珍しくありません。

これ自体で売却が止まることはまずないものの、譲受企業から見れば管理体制への評価が下がります。

有期雇用と役職者の位置づけ

契約社員やパートの更新を繰り返している場合、無期転換の申込権が発生している可能性を点検します。あわせて、管理職として残業代を支払っていない役職者が、労働基準法上の管理監督者に該当するかも確認対象。

肩書だけで実態が伴わなければ、未払残業代の指摘につながります。

売却前に確認したい雇用契約チェックリスト

当社が初期相談で使っている確認項目を挙げます。半分でも「不明」がつくなら、着手前に社会保険労務士を交えて整えるほうが結果的に早く進みます。

  • 全社員分の労働条件通知書または雇用契約書が保管されているか
  • 就業規則と賃金規程が最新の法令に沿って改定されているか
  • 36協定を毎年届け出ているか
  • 固定残業代の時間数と金額が書面に明示され、超過分を精算しているか
  • タイムカードなど客観的な労働時間の記録が3年分そろっているか
  • 年5日の有給休暇取得義務を全社員で満たしているか
  • 未消化有給の残日数を金額換算して把握しているか
  • 管理監督者として扱っている役職者の権限と待遇が実態と合っているか
  • 有期雇用者の通算契約期間と無期転換申込権の状況を把握しているか
  • 社会保険の加入漏れがないか
  • 退職金規程の債務残高を試算しているか
  • 社員に対する貸付金や立替金が残っていないか

社員とのトラブルが起きた事例と回避策

教科書には載らない部分を、匿名化した2件で共有します。どちらも当社が支援した案件をもとにしています。

事例1|転籍を拒否した現場責任者

関東の金属加工業、年商8億円・従業員35名。3工場のうち1工場を事業譲渡する計画で、その工場長が転籍を拒みました。理由は待遇ではなく、譲受企業の役員に対する不信感でした。

強引な説得は避け、譲受企業の社長と2回面談の場を設けたところ、最終的に本人が納得。合意の強要は後の訴訟リスクを生むため、時間をかけて対話するほうが安全です。

事例2|固定残業代の設計不備が価格に響いた

中部の食品卸、年商20億円・従業員60名。株式譲渡の労務デューデリジェンスで、固定残業代の対象時間が就業規則に書かれていないことが判明しました。

過去分の潜在債務を見積もった結果、譲渡価格から相応額が控除される形で決着。着手前に規程を整えていれば避けられた減額でした。企業価値評価の方法を早めに確認し、労務の穴を先に塞いでおく意味は小さくありません。

労働組合がある会社の進め方

組合が存在する場合、M&Aは重大な労働条件の変更にあたる場面が出てきます。厚生労働省の事業譲渡等指針も、労働組合等との事前協議に努めるよう求めています。同指針は2026年1月20日に一部改正され、企業価値担保権の実行手続に関する項目が追加されました。

組合を飛ばして進めれば、団体交渉の申入れや反対運動で案件そのものが止まりかねません。具体的な手順は厚生労働省の労働者保護の手続Q&Aが詳しいです。

会社売却と社員の雇用契約に関するFAQ

初期相談で繰り返し寄せられる、社員の雇用契約まわりの質問をまとめました。

Q:パートや契約社員の雇用契約も正社員と同じ扱いになりますか?

株式譲渡なら雇用形態を問わず全員そのまま継続します。事業譲渡の場合は、パートや契約社員にも個別の承諾が要る点は同じです。現場ではまず、有期契約者の通算期間と無期転換申込権の有無を確認します。更新回数が多い社員がいる会社では、ここが交渉材料になりやすいところ。

Q:正式発表の前に社員から「会社を売るのか」と聞かれたら、どう答えるべきですか?

虚偽の否定は後で必ず尾を引きます。当社がお勧めしているのは、「会社の将来について複数の選択肢を検討している。決まったら真っ先に伝える」という趣旨の回答です。噂の出所を探るより、情報管理の穴を塞ぐほうが先。守秘義務の範囲は仲介会社と事前に握っておきます。

Q:買い手から「キーマンには残ってほしい」と言われました。何か約束が必要ですか?

最終契約にキーマン条項が入ることがあります。特定の役員や幹部が一定期間在籍することを前提条件やクロージング条件に据える形です。本人の同意なしに約束はできないため、対象者への打診時期を譲受企業と詰めておく必要が出てきます。

Q:古い社員の雇用契約書が見当たりません。売却に支障は出ますか?

それだけで破談になることはほぼありません。ただし労務デューデリジェンスで管理体制の評価が下がります。着手前に労働条件通知書を整備し直すか、就業規則で条件を明確にしておくと指摘を減らせます。時間があるなら整えてから動くほうが有利。

Q:売却後に社員が退職した場合、元オーナーが責任を負いますか?

通常は負いません。ただし最終契約に表明保証違反や補償条項が置かれている場合、内容次第で影響が及ぶことはあります。契約条項と離職の理由次第です。キーマンの離職が価格調整に結びつく設計になっていないか、締結前に確認しておきましょう。

税理士法人を母体とするM&A仲介会社|みつきコンサルティングが選ばれる理由

会社売却で社員の雇用契約を守るための要点

社員の雇用契約は、株式譲渡なら自動で承継され、事業譲渡なら一人ずつの承諾が要ります。守り方の中心は、最終契約への条項の書き込みと、労務面を事前に整えておくこと。社員の顔が浮かんで踏み出せない、その迷いこそ真っ当な経営判断の入口です。

当社はみつき税理士法人グループのM&A仲介会社として、中小企業の会社売却・事業承継に特化した支援を重ねてきました。M&Aアドバイザーに加え、公認会計士・税理士が在籍しており、雇用条件の交渉から税務面の設計まで一貫して対応できます。社員の雇用を守りながら会社売却を進めたい経営者は、みつきコンサルティングにご相談ください。

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著者

伊丹 宏久
伊丹 宏久事業法人第二部長/M&A担当ディレクター
ヘルスケア分野に関わる経営支援会社を経て、みつきコンサルティングでは事業計画の策定、モニタリング支援事業に従事。運営するファンドでは、投資先の経営戦略の策定、組織改革等をハンズオンにて担当。東南アジアなど海外での業務経験から、クロスボーダー案件に関しても知見を有する。M&Aの成約実績多数、M&A仲介・助言の経験年数は10年以上
監修者 神門 剛 代表取締役 / 公認会計士・税理士

みつきコンサルティングは、中小企業の会社売却・事業承継に特化した譲渡企業様に完全成功報酬制のM&A仲介会社です。売り手と買い手企業の最適なマッチングを、経験豊富なM&Aコンサルタントが初期相談から成約まで一貫してフルサポートします。

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