タイ進出におけるリスクとその対策について解説します。想定読者である中小企業の経営者やタイ現地法人の日本人責任者の皆様に、具体的な対策を理解していただけるよう、分かりやすい表現を心がけて執筆いたします。
タイ進出におけるリスク対策とは、法務や税務、その他の経営課題に対し事前に準備を行うことです。この記事では、タイで事業を行う上で直面しうるリスクを具体的に解説し、それらを回避または軽減するための実践的な対策について専門家の視点からご説明いたします。

はじめに
タイでのビジネス展開は多くの機会をもたらしますが、同時に様々なリスクが存在します。特に法務、税務、そして現地特有の商慣習や文化に関連するリスクは、事前に十分な理解と対策を講じなければ、予期せぬ問題に発展する可能性があります。この記事では、タイ進出を成功させるために不可欠なリスク対策について、網羅的に解説いたします。
タイにおける法務リスクとその対策
契約に関する注意点
タイでのビジネスにおいて、契約書は非常に重要です。契約書を作成する際には、後々の紛争を防ぐため、準拠法や紛争解決条項を明確に定める必要があります。契約書の言語についてのルールはありませんので何語でも構わないですが、認識に齟齬が生じないように当事者間で理解できる言語が望ましいでしょう。しかし、契約書をタイの官公庁に提出する必要がある時はタイ語の契約書またはタイ語翻訳が必要になります。また、税務調査や監査でもタイ語または英語の翻訳が必要になりますので、初めからどちらかの言語での作成または翻訳を用意しておくことが望ましいでしょう。
また、タイの契約書には”WITNESS”という署名欄が設けられていることが多く見受けられ、証人や立会人という意味になります。これは契約書以外の第三者が契約の立会人として署名するという意味になり、一般的には必須ではありませんが、株式譲渡契約などの契約では必要になりますので注意が必要です。なお、株式譲渡による譲受には、譲渡人と譲受人の間で1名以上の証人が署名した株式譲渡証書を作成し、株式数や価格などを記載する必要があります。実際には、株式譲渡契約書とは別に詳細な株式譲渡契約書を作成することが一般的です。
会社の定款に定められていない事業目的外の業務を行うと、当該取引が取り消されるなど法的なリスクが発生しますので注意が必要です。定款には基本定款と付属定款があり、基本定款に事業目的を記載し、商務省(DBD)に登記する必要があります。
労働法務関連のリスク
タイの日系企業で最も多い労務トラブルの一つに、退職時の解雇補償金に関するものがあります。会社都合で解雇する場合、勤続期間に応じた解雇補償金の支払いが必要となります(労働者保護法118条)。例えば、勤続1年以上3年未満の場合は90日分賃金相当、20年以上の場合は400日分賃金相当の解雇補償金が必要です。また、機械導入等による整理解雇の場合、勤続6年以上の従業員には勤続期間1年につき15日間の特別解雇補償金が上乗せされます。定年による退職の場合も、解雇補償金と同額の支給が必要とされています。
横領行為などの会社に損害を与える行為は懲戒解雇事由にあたりますが、ケースによっては故意性の有無が争点となることがあり、懲戒解雇が認められるかはエビデンスの有無に左右される可能性があります。書類やPCデータ、自供内容の本人署名などを証拠として保管することが望ましいです。
従業員に不利益が生じる労働条件の変更、例えば降格や減給については、従業員の同意が必要となります。同意がない場合は無効とされる可能性があります。業務内容の変更に伴う手当の減額についても、従業員との同意が必要です。ただし、減給を伴わない降格は会社の裁量として認められる場合もあります。試用期間中の解雇についても注意が必要です。
その他、タイでは製造業、建設業など一定の業種で従業員数に応じてSafety Officerの任命義務があります。職場の安全を確保し、労働者の健康と安全を確保するための役割を担います。
数年ごとに上がり続ける最低賃金や傷病休暇、休日出勤時の手当の支給、社会保険の加入義務など、労働法に関する様々な規定があり、それらを遵守する必要があります。自己都合退職の場合は原則として解雇補償金の支払いは不要ですが、繰り越された有給休暇の買い取りは必要です。労働者は比較的容易に労働裁判所へ訴訟提起できるように設計されておりますので、労働裁判のリスクに備え、警告書の記録や雇用契約書、退職届などの書類を保管することが推奨されます。
コンプライアンス体制の構築
コンプライアンス違反のリスク対策として、社内体制の構築は不可欠です。近年施行された個人情報保護法(PDPA)への対応は重要な課題です。特に、個人データの取り扱いに関与する職員が法令上の義務を理解し遵守しなければいけませんので、社内規定の作成や職員に理解させるための社内セミナーなどで周知させていく必要があるでしょう。PDPA違反には、懲役や罰金、損害賠償責任などの罰則があります。対応のためには、社内でのデータ取扱に関するヒアリングや担当者への説明、社内セミナーの実施などが有効ですが、時間がかかるため早期に着手することが重要です。
不正行為の発見を目的として導入されることが多い内部通報制度は、内部監査や会計監査よりも高い割合で不正を発見すると言われています。内部通報制度を組織内で重視する企業は多いですが、運用上の課題(対処法不明、案件管理煩雑、件数の実態把握不安など)も存在します。これらの体制構築は、企業倫理の維持と法的なリスク回避のために重要です。
タイにおけるその他のリスク
税務リスク
タイでは、法人所得税、個人所得税、付加価値税(VAT)、物品税、印紙税、特定事業税など様々な税金があります。法人所得税率は原則20%ですが、資本金および収益が一定以下の中小企業(SME)には軽減税率が適用されます。法人所得税の計算は会計上の収益から費用を差し引き、税務上の調整を加えた税務上の利益に対して税率を乗じて計算します。税務上の調整項目や繰越欠損金の扱いは日本と異なる場合があるため注意が必要です。税務上の欠損金は、発生年度の翌年度以降5年間にわたり繰り越すことが可能です。法人税納付は中間と年度末の年2回あります。
VATの標準税率は7%です。タイ国内での物品販売やサービス提供、物品およびサービスの輸入に課税されます。輸出やタイ国外で利用されるサービス提供などは0%課税取引となります。0%課税取引は仕入VATの還付が可能ですが、非課税取引(農産物販売、教育、医療など)は還付ができません。VATの申告・納付は月次で行います。VATは原則として事業者が負担するものではなく、最終消費者が負担し、事業者は税務当局に納税します。仕入税額控除が認められない場合(タックスインボイスがない、記載不備、事業目的外支出、交際費、特定の車両購入費用など)があるため注意が必要です。
個人所得税は累進課税(0~35%)で、タイの居住者である個人は扶養控除(配偶者控除、子供控除など)や様々な所得控除(生命保険料控除、住宅ローン利子控除、SSF積立金控除など)を適用することができます。個人所得税を会社負担とする場合はグロスアップ計算が必要となり、通常計算よりも所得税が大きくなりますので注意が必要です。また、2024年1月1日以降に生じた国外源泉所得をタイ国内に持ち込んだ場合、課税対象なりますので注意が必要です。
タイの税務は、インターネット上の情報が多岐にわたり、どれが正確で最新の情報か判断が難しい場合があります。また、税務当局の担当官によって判断が異なる実務上の課題も存在します。例えば、適当な理由なく市場価格より低い対価で取引を行った場合、税務当局は市場価格で取引が行われたとみなして課税することがあります。役員賞与の計上方法や福利厚生費の損金処理についても、税務調査で指摘を受けるリスクを減らすための配慮が必要な場合があります。減価償却期間についても、タイには一律5年というルールはなく、想定される耐用年数に基づいて設定することになりますが、税務上の費用として認められるタイミングには注意が必要です。関税についても、HSコードや課税標準の判断で当局の裁量が働く場合があるため、事前教示制度の活用などが推奨されます。
為替変動リスク
海外事業を行う上で、為替レートの変動は収益に大きな影響を与える可能性があります。予期せぬ為替変動による損失を回避または軽減するためには、為替予約などのヘッジ手法を検討することが一般的です。
人材リスク
タイにおける事業運営には、人材に関する固有のリスクが存在します。タイの労働市場は流動的であり、転職を繰り返してキャリアアップしていくことが一般的です。採用した人材がすぐに辞めてしまったり、中心的なスタッフが辞めると他のスタッフも大勢辞めてしまったりということはよく発生します。また、近年、若手のタイ人にとって日系企業が以前のような憧れの場所ではなくなっており、欧米系やタイ系の企業の方が人気があるケースもあります。日系企業の硬直的な人事や社内体制、承認プロセスの煩雑さ、人事評価の曖昧さなどが原因となっていると思われます。一方、一般的に日系企業は従業員をすぐに解雇することはなく、長く安定的に勤務できるという長所もあります。変化していくタイ社会の中で、日系としての長所は保ちつつ、タイ人に合わせた社内体制を構築していくことが求められています。
また、タイでは優秀な人材がキャリアアップのために短期的に転職を繰り返す「ジョブホッピング」が一般的となっています。このような状況下で、人材の確保と定着は日系企業にとって大きな課題となっています。タイでは「足るを知る」という仏教思想が根付いており、ワークライフバランスを重視し、役職や責任を望まない人もいます。タイ人従業員は上司の感情を気にする傾向があり、問題発生時に無言でいようと考える場合もあります。その結果、問題なく進んでいると思っていたものが、後になって全く進んでいないことが分かったり、期限直前に問題があることが分かったということもあり得ます。何かあった時にすぐに相談してもらえるように、日頃からのタイ人スタッフとのコミュニケーションが重要となってきます。これらの文化的な特性を理解し、タイの労働市場に合わせた組織構築や人事評価制度、またここで働きたいと思ってもらえるようなカルチャー作り、日本人とタイ人が共に考え、共に達成するような関係性構築が重要となります。
リスク対策のための専門家活用と紛争解決手段
信頼できる専門家の選び方・連携方法
タイで事業を行う上で、会計、税務、法務といった管理業務に関する知見がない場合、様々なリスクに直面する可能性があります。タイにおいては、公的・民間機関や各種専門家から幅広く情報を収集することが大切です。情報過多で信頼できる情報を見極めることが難しい場合があるため、信頼できる専門家のサポートを得ることが有効です。タイおよび日本のサポート体制や対応の速さ、丁寧さなど、相談した上で総合的に判断することが必要です。
紛争解決手段の概要
タイで万が一トラブルが発生した場合の紛争解決手段としては、交渉、調停、仲裁、訴訟などがあります。トラブルの状況に応じて適切な手段を選択することが重要です。訴訟は時間やコストがかりますので、可能な限り交渉や調停による解決を目指すことも検討が必要です。
タイ進出リスク対策に関するよくあるご質問(FAQ)
Q:タイでビジネスをする上で特に注意すべき法律は何か?
タイでビジネスを行う上で注意すべき法律は多岐にわたります。特に労働法は、解雇補償金の規定や労働条件変更時の従業員の同意など、日本と異なる点が多いです。個人情報保護法(PDPA)への対応も必要です。会社法では、定款の事業目的の範囲内で事業を行う必要があります。税法(法人所得税、VAT、源泉徴収税など)も複雑であり、正しい理解と申告・納付が求められます。これらの法律は改正されることもあるため、常に最新情報を把握し、専門家へ相談することが重要です。
Q:契約書作成時に盛り込むべき条項は?
タイでの契約書作成時には、準拠法をタイ法とするか、第三国の法とするかを明確に定めることが一般的です。また、万が一紛争が発生した場合の解決方法として、裁判所の管轄(タイ国内の裁判所とするかなど)を定めることも重要です。タイでは人間関係や感情を重視する文化的な特性も考慮に入れ、契約書の内容だけでなく、当事者間の信頼関係構築も円滑な取引のために影響する場合があります。
Q:自社の技術やブランドをどう守るか?
自社の技術やブランドを守るためには、商標権、特許権、著作権などの知的財産権を適切に保護することが不可欠です。不正競争防止のための対策も重要です。また、製造物責任法(PL法)への理解も必要です。これらの保護戦略については、タイの法律に詳しい専門家へ相談し、自社のビジネス形態に合わせて適切な対策を講じることが推奨されます。
Q:コンプライアンス違反をしないために気をつけることは?
コンプライアンス違反をしないためには、まず関連法規(労働法、税法、個人情報保護法など)の理解が必要です。社内規程(就業規則、福利厚生規程など)を整備し、従業員に周知することも大切です。贈収賄防止を含む不正行為対策として、内部通報制度の導入や適切な運用も有効な手段です。情報収集は公的機関や専門家から幅広く行い、不明点があれば自己判断せず専門家へ相談する体制を構築することが、リスク低減に繋がります。
Q:万が一トラブルが発生した場合の対処法は?
万が一トラブルが発生した場合、まずは事実関係を正確に把握し、関連する証拠(書類、データ、関係者の証言など)を保全することが重要です。次に、トラブルの内容に応じて、社内で対応方針を検討し、必要であれば関係者(従業員、取引先など)と対話を行います。自社での解決が難しい場合や法的な対応が必要な場合は、速やかにタイの法律や実務に詳しい弁護士などの専門家へ相談することが不可欠です。専門家と連携しながら、交渉、調停、仲裁、訴訟など、トラブル解決のための適切な手段を選択し、対応を進めることになります。
まとめ
タイでのビジネスには法務、税務、労務、人材など様々なリスクが伴いますが、事前の理解と適切な対策によりこれらを管理し、事業を成功に導くことが可能です。特に労働法や個人情報保護法、複雑な税制、そして人材に関する課題は、タイ固有の事情を踏まえた対応が求められます。信頼できる専門家との連携や、社内のコンプライアンス体制構築がリスク対策の鍵となります。
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